佐賀~神集島編7~
- 2012⁄10⁄24(水)
- 00:10

『たらし姫 御船泊てけむ 松浦の海
妹が待つべき 月は経につつ』

『帰りきて 見むと思ひし 我が屋戸の
秋萩すすき 散りにけむかも』
西暦736年6月西暦736年6月遣新羅使の一行は、大阪を出発して瀬戸内海を通り、博多に滞在した後、福岡の西端唐泊、芥屋を経て、日本最後の泊地である狛島(神集島)にやってきました。
この一行の正使は、『安倍継麻呂』氏で、副使は『大伴三中』氏でした。一行は、この神集島で旅の準備をし、風待ちして玄界灘に乗り出して行きました。
当時の船の構造からして、玄界灘を乗り切ることは至難の業でしたから、彼らは、船待ちをしている間に故郷や都を偲んで歌を詠んだそうです。歴史的に万葉集に綴られた歌七首がここ神集島に残され、現在では石碑として島民が守っています。
命がけの旅を続ける人たちの孤独と、妻や恋人を慕う気持ちが玄界灘の潮の香りとともに胸に迫ってくるようです。(神集島公民館の掲額から)
分類:白色系モダンデザイン沿岸灯
分類:白色系モダンデザインネオ灯籠型タイプⅠ
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